手話を言語として認める意味。
これは聞こえる人達への
メッセージだけではなく
聞こえない人達への
メッセージでもある。
”手話”とは、聞こえない世界と
聞こえる世界を繋げて
”聞こえない人達が聞こえる人達の
情報を得る”手段。
聞こえる世界では、耳から聞こえる
”音”を学んで、生後2年くらいで
日本語を話せるようになる。
お母さんから本を読んでもらって、
日本語の読み方を覚える。
聞こえない子供たちは、
ろう学校や支援学校ではじめて
先輩たちが手話を使っている様子を見て、
生まれて初めてコミュニケーション
方法を学ぶ人も少なくない。
音と文章は紐づけられる事が
無い為大人になっても,
テレビや要約筆記の文字が読めない、
インターネット記事が理解できない、
本を理解できない・・・。
手話だけで考え、
コミュニケーションを行い、
交流する人たちにとって、
手話通訳者が
”聞こえる世界”と
”聞こえない世界”を
繋げる責任を負っている存在である。
–
手話通訳者の手話がわからない
–
”耳の聞こえない”人達の多くは、
”手話通訳者”の手話を読み取る
ことができない。
なぜなら、聞こえる世界の情報は
聞こえない世界にはなじみがなく、
理解できないから。
–
聞こえない人達への情報保証とは
–
”聞こえない世界”と
”聞こえる世界”を
理解して、それぞれ異なる世界で
生きている人たちが理解できる方法で
情報共有をする技術が手話通訳である。
–
手話言語条例に関わる人たちに
問いたいのは、どのように
手話を使って情報保証を進める
計画なのか明らかにする事。
差別のない情報保証が聞こえない
人達の命の価値を高め、
聞こえる人と同じ事ができるように
なるのである。
裁判で聞こえない子の命の価値は
聞こえる人より低いというとても
差別的で屈辱的な判決が出される日本は、
聞こえない世界の理解を深めて、
真摯に聞こえない人達の
情報保証に早急に取り組まなければいけない。
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